「真のリベラリストたらんには真のリアリストたれ」
「真のリベラリストたらんには真のリアリストたれ」
最近シュウカツが本格的に始まって、企業さんとかが出しているインターンの案内とか求人案内とかをチェックするようになってすごく違和感を覚えることがあります。それは多くの企業が人材としての成長とかキャリアとかいうキャッチコピーを使って人々の関心をひきつけようとしていること。ものすごい違和感です。よく人から「武末君は成長意欲が高くてすごいね」とか「なんでそんなに意識高いの?」とか言われますが、僕は成長意欲なんてありません。意識も高くないです。僕にとって大切なのはただ1つ、「自分が大切にしたいと思う人(時には自分も含む)をどうやったら喜ばせられるか」それだけです。そのために成長というものが必要だなと感じたら成長できるようにがんばるし、自己の成長のために時間を効率的に使うことよりも人を満足させるために時間を贅沢に使うことの方が大切だと思ったらそうするでしょう。成長なんて結局は手段なわけで、そんなものは人間が自分の人生を楽しむための絶対条件でもなければ、十分条件でもないと思う。意識についても同じことが言えます。どうやったら自分にとって大切な人を喜ばせられるか、そのために今自分がやるべきことは何なのか、そのことについては全力で意識を集中して考えていきたいと思うけど、それ以外のことについてははっきりいってどうでもいいことです。
で、その京都であったイベントなんだが、改めて一般的に外銀とか外コンとかを目指す就活生とは自分は合わないなと痛感させられました。自分の成長に一生懸命になれる彼らはすごいと思います。僕はああはなれません。自分の成長よりも家族円満の方が僕は欲しいのです。お金はほしいけど、自己投資ではなく大切な人に投資したいのです、子供とかね。このイベントに参加して思ったのは、成長が目的化しないように気をつけようってことですね。つくづく思いました。それがいいとか悪いとかそういうのではなく、僕はそういうタイプの人間じゃないわけだからね。自分を見失わないようにしたいものです。
インターンで同じチームだったあるメンバーがリーダーには二種類のタイプが存在するといっていた。1つはピラミッドの頂上となるリーダー、いわゆるトップダウン型である。もう1つは円の中心になるリーダーである。トップダウンとの対比で言うとボトムアップ型とでもいえるだろうか。しかし、前者としてリーダーシップを発揮する場合には前提が存在する。それは①能力的にリーダーが部下を超越していること、もしくは②部下から絶対的な信頼が確立していることである。しかし、ふと自分に目を向けた場合、果たしてこの二つの前提のうちどちらかをクリアーすることができるだろうか?できる場合もあるだろうが、今後できない場合の方が多くなっていくだろう。したがって、自分が目指すべきは円の中心になるリーダーであった。
「この世の中にはお前以外の誰にも歩んでいけることのできない、ただひとつの道がある。その道はどこに通じているのだろうか。そんなことは問うな、その道を行け。」
ニーチェの残したこの言葉には、二つの意味が含まれているように僕には思えてならない。つまりそれは、「予見」と「選択」の限界である。人は自分の目の前にある道がどこにつながっているのか、そしてそれは正しい道なのかと「予見」を試みようとするが、それには限界が必ずある。予見不可能性とも呼べるのかもしれない。また、その「予測」の基に人は道を「選択」しようとする。しかし、結果論になってしまうかもしれないが、道を選択することなど、そもそも不可能なのである。なぜならば、道とは人の歩んできた軌跡にすぎないからである。また、仮に道(ここでいう道とは当然「仮説としての」という前提が付されてしかるべきであるが)が複数存在したとしても、そこにifを提起したところで何も生まれないのである。そうした意味で、そこにはニーチェが言うような意味での「問う価値」というものはないのである。
っぱり僕は、「コンサルティングとか楽しそうですね」とか、「コンサルタントってかっこいい」とか言っている人の話を聞いていると怖くなってしまうんだよ。だって、自分の意思決定が人の人生を変えるかもしれないんだ。思いをつぶしてしまうかもしれないんだ。そう考えると、かっこいいとか楽しいとかでコンサルティングなんてできないよ。
ただ、それでも僕は、それと表裏一体になっている価値に誇りを持ってコンサルタントとしての第一歩を踏み出したい。つまり、人生を変えるということは、ネガティブにもとらえられるが、ポジティブにも当然とらえられるのである。また、思いをつぶしてしまうかもしれない意思決定の裏には、思いを実現させる意思決定が存在するのである。道のりは間違いなく険しい。しかし、自らに課された責任感と自らに与えられた可能性の狭間で、僕は可能性を常に信じて生きていきたい。それが僕にとっての経営という「生き物」を相手にすることへの決意だ。