「この世の中にはお前以外の誰にも歩んでいけることのできない、ただひとつの道がある。その道はどこに通じているのだろうか。そんなことは問うな、その道を行け。」
ニーチェの残したこの言葉には、二つの意味が含まれているように僕には思えてならない。つまりそれは、「予見」と「選択」の限界である。人は自分の目の前にある道がどこにつながっているのか、そしてそれは正しい道なのかと「予見」を試みようとするが、それには限界が必ずある。予見不可能性とも呼べるのかもしれない。また、その「予測」の基に人は道を「選択」しようとする。しかし、結果論になってしまうかもしれないが、道を選択することなど、そもそも不可能なのである。なぜならば、道とは人の歩んできた軌跡にすぎないからである。また、仮に道(ここでいう道とは当然「仮説としての」という前提が付されてしかるべきであるが)が複数存在したとしても、そこにifを提起したところで何も生まれないのである。そうした意味で、そこにはニーチェが言うような意味での「問う価値」というものはないのである。
